いきなり寒くなり始めた横浜ですが、

query_builder 2024/11/12
画像391
画像392
画像393
画像391
画像392
画像393
いきなり寒くなり始めた横浜ですが、
皆様、元気にお過ごしでしょうか。

少し前までTシャツで過ごせていましたが、
上着を着込んで、寒さを凌いでおります。

ご近所様からは
「Tシャツ姿じゃなくなっちゃったね」
と声をかけられる日々です。

寒くなってくると、
白味噌仕立ての椀盛が献立に入ってきますね。

今回の話は、私の憶測なども入っております。
ご了承ください。
長文になります。

白味噌が好きという方が多くいらっしゃいます。
白味噌が有名なところはどこですか?と聞かれたら、
大半の方は、“京都”と答えるのではないでしょうか。 
※京都以外の地域でも白味噌は作られています。

白味噌の発祥は、京都と言われており、
時期は平安時代です。

では、なぜ平安時代に京都で白味噌が
作られるようになったのでしょうか。
白味噌と身近にある味噌との違いは、
なんでしょうか?!

すぐに解った方もいらっしゃると思いますが、
違いは“米”です。白味噌には、
たっぷりとお米が使用されています。

当時、お米は、税として納める必要のある
大変貴重なものでした。
徴収された税(米)は、どこに行くのでしょうか。
当時、都があった京都ですね。

この時代、お米を食べれるのは、
特権階級の人達だけです。
帝や麻呂(貴族)たち、その地域の権力者です。
お米は、各地から京都に集まってきます。
だからこそ、ふんだんにお米を使えたわけです。

ちなみに庶民が白米を食べられるようになったのは、
江戸時代中期です。

当時の精米には、かなりの労力が必要だったそうです。
庶民は“黒米”というものにヒエやアワを混ぜたものを
食べていました。

京都に麻呂たちが住んでいたからこそ、
塩分濃度が低く上品な白味噌が出来上がりました。
麻呂たちは、重労働などしませんから、
塩分を摂取する必要がほとんどありません。

白味噌は、“貴族の食べ物”という事です。

私、個人としては、白味噌こそが、
食文化と日本の歴史・文化が一番密接
しているのではないかと思っています。

横浜に昔の都があったら白味噌=横浜に
なっていたかもしれませんね。

西京味噌と言われるのは、
東京に遷都され際、西の京という事で
西京となったそうです。
ですので、明治以降に使われるようになった言葉です。

“白味噌”“お米”を食べられる際に
歴史を感じていただければと思っています。

長々とした文章を最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

お身体に気をつけてお過ごしください。

当店は、
第一部 先付から焚合ので季節を感じていただき、
第二部 土鍋ご飯で日本のお米の本当の
美味しさを知ってもらう、
第三部 抹茶で心を落ち着かせていただくという

〜お客様のお腹と心を温める〜(薬石)
というコンセプトで完全御予約制で営業しております。

#薬石庵司紀 #予約制 #奥横浜 #横浜 #yokohama #日本料理 #懐石料理 #和食 #白味噌 #白味噌仕立て #西京味噌 #美味しいもの #japanesefood #japantrip #wasyoku #食文化 #歴史 #京都の文化 #貴族 #米 #健康こそが幸せへの第一歩
横浜で日本料理店をお探しの方は薬石庵 司紀へお越しください。
薬石庵 司紀は神奈川県横浜市西区にございます日本料理店です。
おまかせの季節ごとのコースメニューと料理に合うワインや日本酒をお楽しみください。
当店は前日までのご予約制ですので、予約をしてお越しください。予約の際に、アレルギーや苦手な食材がある方はお知らせください。
横浜で日本料理店をお探しの方は薬石庵 司紀へお越しください。